パート 1
6:30あたりからピークのつくり方に入っていきます。以前のコーチの言を借りるなら「自己分析能力が高い、自分自身の見極めが付く」ということなのですが、これはとりあえず自分の欲しいものは何かを理解している、と取っておきましょう。
(パート2のビデオもありますが省きます。200mで北島君はシャントーに0.17秒差で敗れます。残念!)
いやいやたしかに「勝ちたい」、それが自分の欲しいものである。これは誰でもある意味当たりまえなのですが、これを口に出して言うのは怖いのです。そりゃぁ「勝つぞぉー」とはいえますけれど、「ぼくは勝ちたいんだ」としっかり自分に言い聞かせられる人間がどれくらいいます?
少なくともぼくはそれ以上に、50mを折り返したところで力が抜けるのではないか、とか75m過ぎたらもうもたないんじゃないかとか、息が続くのかなぁとか、水飲むんじゃないか、などと余計な心配に心を占領されるのが常でした。
彼の場合、勝つことを考えて良いと思うことをやっていく、と言ってますから尊敬してしまうわけです。ご存知のように上位ほど中央のレーンを泳ぐので、練習でも端ではなく中央のレーンに飛び込む、なんてぇのはずうずうしくないとできないように感じていました。まぁだから勝てなかったのはあたりまえといえばあたりまえ。
いやいやそれよりなによりろくに練習していないのですから、勝てると思うほうがおかしいのかもしれません。はい。
彼の場合は選手生活が長いのでそれなりのパターンができているようです。これって大切なんですよね。ゲン担ぎになるのは問題ですが、パターンを踏襲することで、ストレスを感じずに過ごせればそれに越したことはありません。
というわけで、平泳ぎ特集になりますが、もう一つ戦前の日本がどれくらい強い水泳チームを持っていたのかを示すビデオがあったのでご紹介しておきましょう。ぼくらはこれより後の世代ですから、これは知りませんでした。ただ「前畑がんばれ!」というアナウンサーがいたというのは何度か聞いたことがあります。
戦前の水泳日本
潜水泳法で圧勝した後これが禁止された1956年のメルボルン大会は、映画劇場のニュースフィルムで見ました。へぇーという感想しか持たなかった当時ですが、今になってみれば当時の日本がいわゆる戦勝国にどんな目で見られていたのか良く分かります。彼らにとって「戦争で負けた奴らがオリンピックで勝つ」なんてことは許しがたかったんでしょうね。
これに比べて北島君の扱いはもうすっかり仲間の一員、といった感じがなきにしもあらず。隔世の感というのはこういうことを言うのでしょうか。
それにしてももうすぐ海へいけるもんなぁー・・・・・。
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